クローズアップ 2018  輝きの女たち

難病を乗り越えた母と子のドラマ
経験を活かし、親と子らに寄り添う

江藤 裕子さん
NPO法人「共に生きる」
理事長


  プロフィールを見て驚かされる。自身のC型肝炎はもとより3人の子どもたちも難病に匹敵する病気を次々に発症。下2人の子どもは2013、14年に発達障がいと診断される。第2子出産の折、大量出血のためフィブリノゲン投与し、C型肝炎に感染した。31才だった。薬害肝炎原告の大分世話人として08年1月から奔走。10年4月薬害肝炎訴訟和解をとりつけた。NPO法人「共に生きる」を立ち上げたのはその年の6月。
 「自分が体で感じたこと、生かしてもらったことをお返しする番。社会貢献できたらと」。
 プロフィールには書いていないが「私が育った環境は児童虐待だった」という。建設会社を経営する父は言葉の暴力、母はネグレクト。両親の諍いを目のあたりにする生活。「お金には困らなかったけど、いつもビクビクしていた」。父親に怒られないよう先を読み、気のつく子どもだった。姉はいたが性格はまるで違った。別府の短大を卒業し大阪の設計事務所に就職。そこで初めて「ありがとう」といわれた。「ごめんなさい」も知った。愛されることを知らない家庭環境だったが、人の痛みがわかり仕事は率先して取り組み認められた。「これまでの体験は無駄ではなかった、私は不幸ではない」。
 24才で結婚、女の子が生まれたが27才で離婚。28才で再婚し男の子が生まれるが31才で離婚。「父のトラウマなのか子どもが生まれると夫に尊厳や信頼が持てなくなる。好きといわれてもわからない」。父の会社の後継のこともあり2児を連れて大分へ戻る。38才で結婚し第3子を設けるも42才で離婚。父親の異なる子ども3人には自分が育った環境とは真逆の愛情を注いだ。長女は10才の時に腎臓の難病で生存率25%と診断されたが現在は結婚し子どもも出産。長男は紫斑病、次男はくも膜下血腫を患いてんかんに。その後、2人とも発達障がいと診断されるが共に東京で自立。1人はプログラマーとして高収入を得、1人は自分のエリアを確保し自活している。「私たち親子の電話は『楽しんでいるか〜』なんです」とうれしそう。そんな子どもたちが60才の誕生日に京都の旅をプレゼント。舞子姿の写真を撮ってきた。5月にはデンマークに1人旅。「人権意識の違いを痛感した」。
 現在、主力に取り組んでいるのは発達障がいの啓発。当事者である息子2人を育ててきた体験を通し「今、何が起こっているのか、自分と向きあい、課題意識をもてば解決する」と母親たちにアドバイスする。発達障がいの当事者会や家族会、講演会、メディア出演…と超多忙の日々。来年1月20日は講師に生重幸恵氏を迎え学びの講演会を開く。
 「今は全てに感謝です。この人生でよかった」と晴れやかな笑顔。来年2月は娘と孫とハワイの旅を計画している。


●プロフィール
1957年大分市生まれ。短大を卒業後、大阪で就職。
24才で結婚、離婚を経て2子を設ける。2人の子どもを連れ大分に戻り第3子を設ける。
87年1月、第2子を出産時大量出血のためフィブリノゲン投与でC型肝炎感染。
94年、第1子が10才の時、メザンギュウム増殖型腎炎発症。
96年8月、第3子がくも膜下血腫。後遺症として、てんかん。
98年5月、第2子アレルギー性血管性紫斑病。
13年〜14年にかけて第2子(広汎性発達障がい)と第3子(ADHD)が発達障がいと診断される。
10年、NPO法人「共に生きる」設立。
肝炎患者、発達障害当事者・家族の電話相談、ビアカウンセリングのほか発達障害の啓発講演会を主催する。
子どもたちは独立、猫7匹と暮らす。


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