MY LIFE 2020  輝きの女たち

家庭科教師として過した時間は宝物
人生100年、今もボランティアで指導

房前 和子さん
東京家政大学大分県支部長

 3月の卒業シーズン。勤務する河原学園未来高等学校(全国組織・不登校生受け入れ)の卒業式がコンパルホールであった。その式場で上野丘高校時代の教え子に声をかけられた。44才の母になっていた。高校内に1本あった八重桜の若葉で桜餅を作り食べた時の「おいしかった」思いを話してくれた。「声をかけてくれてうれしかった」と満面の笑み。
 東京家政大学を卒業後、昭和38年から平成28年まで高校の家庭科教師として生徒に向きあった。最初の赴任地は国東農業高校。当時の教え子の古希の祝いの席に招かれたのは昨年7月。一泊バス旅行の旅などへも誘ってくれる。教師という仕事を通してたくさんの宝物をもらった。そして何かを伝えようと熱い心で接した生徒たちの心に今も刻まれている言葉の贈り物。
 「生徒はどの子もかわいい」と言う。「先生になる!」と決めたのは小学6年の時。「えこひいきしない教師になりたい」。目標が決まったら次の選択は早かった。普通科を目指さず「3年間、技術を習得できる」と岩田高校へ進学。東京家政大学では被服学科を専攻。岩田で学んだ技術が生きた。卒業後、助手に残ってくれという大学の依頼を断り大分で高校教師を志望した。
 縁があって同い年の夫と26才で結婚。夫の転勤で18年間は専業主婦。2人の息子が中学の時、夫と離婚。教師生活を再スタートさせた。県立、私学に勤務し75才で辞める最後のクラスは大分高校。家庭科は時代とともに大きく変遷。「衣食住。社会生活に必要なこと全般」という。調理実習で水道を出しっぱなしで調理する男子学生に資源の大切さを説き「お金を出してるから何をしてもいい」と言う彼に「お金のためなら人殺しもするのか」と極論を。くそばばあ≠ニ言い放った彼が「なんで先生になったのか」と問いかけてきた。
 「生徒はどの子も本当にかわいい。社会に出た時に伝えたかったことを思い出してくれるだけで充分」。野球部の応援に肉まんじゅうを差し入れしたり部活の応援にも愛情を注いだ。
 退職後はスポーツやボランティア、趣味で1ヵ月がつぶれる程のスケジュール。歩こう会や健康体操。デイケアでの手芸指導。障がい者の洋服作りにも携わる。自宅で折り紙や和裁・洋裁、バッグ作りを指導している。今は新型コロナウイルス予防に手づくり布マスクに専念。「ここ数日、睡眠時間は2〜3時間。お役にたてるのがうれしい」。東京家政大学大分県支部長は今年で17年。1月は名誉教授樋口恵子氏の講演があり記念撮影した。「人生100年時代。生きている間、楽しく前向きに」。79才の今も現役で人生を謳歌する。



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